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2010年10月24日 (日)

ドッソ・ドッシ作「ユピテル、メルクリウスとウィルトゥス(美徳)」

9月5日の記事で、東京富士美術館で開催された「ポーランドの至宝」展の鑑賞記を書いたが、 今回の記事は、そこで見たドッソ・ドッシ作「ユピテル、メルクリウスとウィルトゥス(美徳)」について。

ドッソ・ドッシ作「ユピテル、メルクリウスとウィルトゥス」

これはずいぶん変わった内容の絵だ、ユピテルが蝶の絵を描いているとは... いったいどういう主題なのか、すごく気になるので、詳しく調べてみた。

アルベルティの「Intercenales」

図書館で探してみたところ、以下の本に、この絵についての詳しい解説があった。

  • Peter Humfrey and Mauro Lucco著
    「Dosso Dossi: Court Painter in Renaissance Ferrara」

それによると、この絵の解釈については様々な説があるが、結局のところ、何なのかは未解決の問題である、とされている。 ただ、おそらくは、レオン・バッティスタ・アルベルティの書いた「Intercenales」という本の中にある話がベースとなっていると考えられる、という。

レオン・バッティスタ・アルベルティは、ルネッサンス期に活躍した万能の天才で、特に絵画論や建築論についての著作で有名らしい。 文学の才もあったようで、その著作の一つである「Intercenales」は、夕食の席上で話すような軽いショートストーリーを集めた形の本。 その日本語訳は見つけられなかったが、以下の英語訳の本があった。

  • Leon Battista Alberti著、David Marsh訳
    「Dinner Pieces (Medieval and Renaissance Texts and Studies)」

この本の中に「Virtue[Virtus]」という2ページほどの短い話が載っていて、それがこの絵のもとになっているという。 以下に、その話を抄訳してみた。

メルクリウスとウィルトゥス(美徳の女神)の対話の形をしている。

「美徳(ウィルトゥス)」の話

【メルクリウス】

手紙でウィルトゥスに頼まれてやって来た。会って話を聞こうと思うが、終わったらすぐにユピテルのもとへ帰らなければならない。

【ウィルトゥス】

こんにちは、メルクリウス。神々に蔑まれている私に優しくしてくれて、ありがとうございます。

【メルクリウス】

話を聞こう。ただ、手短にしてもらえるかな。ユピテルにすぐに戻るように言われているので。

【ウィルトゥス】

あなたですら私の話を聞いてくれないのですか。 ユピテルにも、そしてあなたにすら見捨てられたら、誰が私の受けた仕打ちに仕返ししてくれるというのでしょう。 だれに助けてもらったらいいのですか!

【メルクリウス】

わかった、聞いてやるから、話せ。

【ウィルトゥス】

ええ。

私、ひどい姿をしているでしょう。フォルトゥーナ(運命の女神)のせいなのです。 かつてはちゃんと装っていたのです、エリュシオン(英雄や善人が死後住むという極楽浄土)で、 プラトンやソクラテス、デモステネス、キケロ、アルキメデス、ポリュクレイトス、プラクシテレス、そのほか大勢の、 生前は私を熱心に称えてくれた賢人たちに囲まれて。

そうしたらフォルトゥーナが突然現れたのです。 武装した悪漢どもをひきつれて、酔っ払い、乱暴に、私にどなったのです、「目上の神に道を譲らんか、この下級神めが」と。

訳もなく侮辱されて深く傷ついた私は、怒りをおぼえ、言ったのです「私は下級神なんかではありません。 それに、目上の神に道をゆずるべきだとしても、あなたに道を譲ろうとは思いません。」

彼女はすぐさま私を罵り始めましたが、私は無視しました。 プラトンは神々の道義について説教を始めましたが、彼女に激しく言い返されてしまいました 「うせろ、口やかましいやつめ。奴隷に神を弁護する資格なんかないんだよ。」と。 キケロも熱心に進言を始めました。 ところが悪漢の中からマルクス・アントニウスが突進してきて、彼の顔を殴ったのです。

これには他の友人たちも逃げ出しました。殺人や強盗や戦争に慣れた悪漢どもには誰も太刀打ちできなかったのです。 みんなから見捨てられて、私はさんざん殴られ、蹴られました。 着物はずたずたになり、しまいには私は泥の中に投げ捨てられました。

なんとか立ち上がると、真っ先に偉大なユピテル様にこのことを知らせようと、ここへ来たのです。 でも、お目通りを待って、もう1カ月になります。 出入りする神々に嘆願しましたが、言い訳を聞くばかりでした。 彼らが言うには、神々はキュウリの花を見るのに時間を費やしたり、蝶の羽根をきれいに描くのに骨を折っているというのです。 それが何だと言うのですか? 私を無視するほど、そんなに忙しいのですか? キュウリは満開になり、蝶は華麗に飛び回って、もうずいぶん長いこと経っています。 それなのに、私を愛し守ってくれる神も人もいない。

だからあなたにお願いします、メルクリウス。 あなたは神々の代弁者なのだから、私の訴えを聞いてください。 あなたしか望みが無いのです。 あなたの助けなくしては、人々のお笑い草になってしまいます。 柔弱な人間にすら見下されたら、神々の地位を汚すことになります。

【メルクリウス】

わかった、本当にかわいそうだ。 だが、古き友人として、君に忠告する。 君の訴えを聞き入れてもらうのは難しいだろう。 他の神々は言うまでもなく、ユピテル自身でさえ、フォルトゥーナには大きな恩があるし、彼女の力を恐れているのだよ。 フォルトゥーナの気分次第で、神を天国に上げるこもとあれば、放り出すこともできる。 彼女の怒りが消えるまで、下級の神々の中に身を隠しているのが賢明だよ。

【ウィルトゥス】

ならば永久に隠れていなければならないでしょう。 見下されて、天国から締め出されるしかないのですね。

まとめ

アルベルティの話は以上のようなものだが、その意味合いは要するに、美徳というのは運命に翻弄されて、かくも軽んじられてしまっている、という諷刺なのだろうと思う。

アルベルティの話では、ウィルトゥスは悪漢どもにやられてひどい姿をしていたとされているが、ドッソ・ドッシの絵では奇麗な姿に描かれているところが、一致していない。 そこで色々と解釈が分かれるところだと思う。

また、Peter Humfrey and Mauro Luccoの本によると、絵を描くユピテルの姿は、おそらく絵画芸術の寓意であろうという。

結局、この絵の意味するところは確実にはわからないが、自分として感じるのは、絵画芸術に没頭するあまり美徳を忘れることがないようにという教訓なのではないかと思う。

参考文献

この記事を書くにあたり、以下の本・Webサイトを参考にさせていただいた。

  • Peter Humfrey, Mauro Lucco著
    「Dosso Dossi: Court Painter in Renaissance Ferrara」
    The Metropolitan Museum of Art, New York, 1999
    1999年にニューヨークのメトロポリタン美術館で開催された展覧会のカタログ。27番(pp.170)にこの絵が載っている。

  • Leon Battista Alberti著、David Marsh訳
    「Dinner Pieces (Medieval and Renaissance Texts and Studies)」
    Binghamton, New Yrok, 1987
    「Intercenales」の英語訳。pp.21に「美徳」の話が載っている。

  • 小学館 世界美術大全集 西洋編 第13巻「イタリア・ルネサンス3」

  • ウィキペディアのレオン・バッティスタ・アルベルティのページ

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