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2010年7月25日 (日)

ポンペイ展@名古屋市博物館

のぞみ13号@新横浜

7月17日の土曜日に、ポンペイ展を見に、名古屋に行ってきた。

この展覧会は横浜美術館で開催されている最中に一度見たのだが、もう一度見に行きたいと思っているうちに会期が終わってしまい、巡回で名古屋市博物館に行ってしまった。 記念講演会もあるとのことで、日帰りで名古屋へ行ってみることにした。

新横浜から新幹線に乗ると、名古屋まで83分ほどで着く。

名古屋市博物館

名古屋市博物館

名古屋からは、地下鉄桜通線に乗り、15分ぐらいのところにある桜山駅で降りる。 名古屋市博物館は駅から歩いて5分ぐらいのところにある。周りは住宅地という感じ

横浜展と比べると、会場がちょっと狭い。ただ、展示内容は、多少順番が違うところがあるものの、同じものが展示されていたと思う。

坂井先生講演

この展覧会の記念講演会として、同志社大学講師で、この展覧会の監修者である坂井聰氏の講演があり、拝聴した。

坂井先生は、長年にわたりポンペイの発掘調査に携わってこられたとのことで、その経験を踏まえて、古代ローマ帝国史におけるポンペイの位置づけについての話だった。 明瞭な話し方をされるし、論旨も明確で、非常にわかりやすい講演だった。 勉強になったと思う。

自分としてこの講演で興味深いと思ったポイントをまとめると:
(にわか勉強なので、間違っているところもあるかもしれないが...)

  • ポンペイが都市として成立したのはBC6世紀ごろ。BC91年に、他の都市と同盟して、ローマに戦争をしかけたが、負けた(同盟市戦争)。 その後古代ローマ帝国支配下の都市となる。 そしてAC79年にヴェスヴィオ山の噴火があった。
  • 古代ローマ帝国というのは、あまり中央集権化が発達していない国家で、地方の都市はそれぞれの自治に任されていた。 ポンペイもそんな地方都市の1つだった。古代ローマ帝国の中では、とりわけ注目されることもない、普通の地方都市だった。
  • 一般に、古代ローマ帝国について残っている歴史的史料というのは、ほとんどが中央のローマや支配者に関するもの。 そんな中にあって、ポンペイは地方都市についての史料が豊富に残されている。 その意味で、ポンペイの重要さは、まさに普通の地方都市であったということにある。
  • この時代の先進文化はギリシャであり、古代ローマ帝国の人々はギリシャ文化を生活の中に進んで取り入れていた。ポンペイがある南イタリアは、古代ローマ帝国にギリシャ文化が流入する窓口のような位置にある。中央のローマほどの豪華さでは無いが、ポンペイの市民たちも彼らなりの規模で、生活の中にギリシャ文化を取り入れていた様子を見ることができる

展示

坂井先生の講演でも話があったように、今回の展覧会は、ポンペイの人々の生活が垣間見える内容だったと思う。

自分としては特に、祭壇の神々の像と、ディオニュソスとアリアドネのフレスコ画が、おもしろかったと思う。

祭壇の神々

小さな像ではあるが、ウェヌス、ヘルクレス、メルクリウス、ミネルウァ、ユピテルなどの神像が展示されていた。 展覧会カタログの解説によると、市民の家には「ララリウム」と呼ばれる祭壇があって、そこにこのような小型の神像が置いてあったそうだ。 この時代の市民は、こういうふうに神々を信仰していたのかと、興味深かった。

ルネッサンス以後の絵画に描かれたものとは、共通しているとこもあるが、だいぶ違う感じがする。 特にメルクリウスは違うと思う。 この時代には商売の神として信仰さていたそうで、手に持っているのは財布なのだそうだ。

ディオニュソスとアリアドネ

ディオニュソスとアリアドネ

写真だともやもやした感じに見えるが、実際近くで見ると、登場人物たちの表情がわりとはっきりと見て取れ、情景がとてもよく感じられる。 色彩もきれいだと思う。

アリアドネは、アテネの英雄テセウスがミノタウロスを退治するのを助け、その後アテネへと航海する途中、立ち寄った島で寝ているうちに置き去りにされてしまう。 そこへディオニュソスが飛来して、彼女を救うという場面だそうだ。ディオニュソスの飛来感がよく出ていると思う。

まとめ

約二千年も前の市民の生活が、こんなにも良くわかるというのが、とても興味深い展覧会だった。 それというのも、この地で発掘調査に取り組んでこられた研究者の方々のおかげなのだと思う。

参考文献

  • 日本テレビ放送網発行「ポンペイ展 世界遺産 古代ローマ文明の奇跡 カタログ」

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